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おバカなプーたろう


2017年11月11日

大山に登ってきたよ

5時に起きて5時半には家を出て秦野に向かった。
 

 

平塚に向かって走るのだけれど、伊豆や箱根の空は真黒。雨も降りだした。
平塚から北に向かう左の車窓はこんな。

 

向かう空は・・

 

 

悩みながら走って、朝ごはん食べた。

 

とりあえずヤビツ峠まで行くか・・と、車を走らせると、結構いいお天気じゃないの。

 

バスからは登山客大勢下りて来たし。

 

 

で、行くことに決定。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9時50分には山頂に到着。

 

 


 
 
下りは登山者が多くてすれ違いに苦労したけど(リラ娘がいるからねえ)
 

 
海までよく見渡せて
 

 

江ノ島も見えちゃうし

 


 

 

 

 
 


 

 

 
ここで、美味しいケーキを買ったよ。
 

 

丹沢ホームの中村さんと話し込んだ。
 
 
 
やっぱりここから登る大山はちょっと楽ちんで良い。
 

 

 

 

 
 
 

 

2015年8月7日

塩爺に会いに行ってきた

昔々北岳に登り始めた時,塩爺は夜叉人峠の小屋のおやじだった.
北岳稜線小屋からの無線連絡(山の上から下界への連絡は無線しかなかった時代)の中継地になっていたのが夜叉人峠の小屋で,無線機から聞こえる塩爺の声にあこがれて,北岳の帰りに夜叉人峠を訪れる女性も多かったと聞いた.中継地がないと免許のいらない無線は甲府まで届かず,毎日の気象状況や遭難者のことなどを伝えるすべは他にない,そんな時代だった.急を要さない事は下山者に頼むしかなく,家への連絡とかは,手紙を投函してもらうか下りてから電話をしてもらうしかなかったのだった.
 
私がなぜ夜叉人峠によったかというと,無線で話しているうちに,尻皮をくれる,という話になったからだった.
尻皮というのは,30cm×40cm位の毛皮をお尻に下げてどこにでも座れるようにしたもので,それをくれると聞いて後輩の真理子と夜叉人峠に向かったのだった(尻皮はすべてカモシカの毛皮だと信じていた).
夜叉人峠につくと,女性が出てきて(誰だったか思い出せない)「お待ちしてました.塩〇さんは5日後に上がってくるそうです.」!!
なんと5日間の小屋番が前触れなしに待ち構えていたのだった.
 
おそらくその女性に小屋番の仕方を教わり,「腐らない」カレーを食べて待っていたのだと思う.そこら辺の記憶はあまり定かではない.
最初の晩,夜中に小屋の壁をガリガリひっかく物があってとても怖かった.後日,それは岩園館の大きな犬(クマといった)だと知ったが,初日は怖かった.
塩〇さんが上がってきて,尻皮をもらったのだが,なんだか見覚えのある模様で,「これ,なんの毛皮ですか?カモシカじゃないですよね?」「ああ,犬だよ.」
キャー!!
毛皮を放り投げた私だった.
犬が毛皮になるという事実が受け入れられなかったのだ.
しばらく見ていて,結局もらうことにして大事に使っていたのだが,この尻皮,数年後の正月山行でニッカーボッカーのお尻に穴が開いた長谷川君にとられてしまった.
 
子供を連れて再度北岳に向かったときは,塩爺はもう子持ちで,広河原小屋のおやじになっていた.
山に登るだけではなく,広河原で音楽会を開いたり,様々な活動を始めていた.
 
 
 
 
今の山岳館の仕事はその延長上にあるんだろう,今でも生き生きと働いている姿は昔と変わらない.
 

 
「ねえ,斉〇さん(私の旧姓),北岳のおやじさんたちに送ってもらったり,家に呼ばれたりして,将来就職したり結婚したりして全く音信不通になるような付き合いをするんじゃないよ.」
何回も言われたので肝に銘じている.
子供を連れておやじさんの家に遊びにも行った.言われたからやってるわけじゃあなく,あんなにいい一時期を過ごさせてもらったとこと音信不通なんてありえないから.
 
今回の塩爺の名言.
「 女房の妹が亡くなったりして,だんだん向こう側が近くなってきたのを実感してるのよ.
 もう次の仕事は決まってるから.
 三途の川の案内人よ.
 川の渡り方とか,石の積み方とかを教えるのね.
 斉〇さんが来るまでずっとやってるから,安心して長生きしていらっしゃいね.」

あはは,変わらないね.
まだまだ長生きしてもらわなくちゃ.
 
 
 

特設展をやっていたのは大学の先輩にあたる日本画家の犬塚勉さんの作品展で,今まで知らなかった画家さんだったのだが,まるで写真のような写実的な絵に魅せられた.(大学の数年先輩にあたるが,1988年に谷川岳で亡くなられている)
 
 
 
セルフタイマーで写真を撮ると緊張する.
誰かが撮ってくれると笑った写真になるんだけどね~.

 
  
 
 
 
 

2015年3月11日

古い写真から 八ヶ岳ミニ合宿(’80.1.13~15)

日曜日に八ヶ岳阿弥陀岳で高校3年生の女の子が滑落して行方不明になった。
翌日無事見つかったというニュースを聞いてほっとした。
 
ああ、私たちもそんなことがあったなあと思い出した。
 
 
何て古いんだろうねえ(笑)。
 
我が労山山岳会は、他の山岳会もそうだと思うけれど、岩や沢をやるエキスパートと、楽しく稜線縦走をするグループに分かれていて、
ぷーままは、当然、縦走グループ。
時々、ハラハラドキドキの沢に連れて行ってもらったりしたけれど、普段はきっちり組む相手が違って、それでも必ず能力のあるベテランが初心者にもついて行ってくれていた。
正月やお盆の長い休みのときは、会全体でサポート体制をとって集中登山をすることになっていた。
 
たとえば、北アルプス後ろ立山連峰に登るときなどは、ぷーままの入っているチームは、超ベテランと新人が混じっていて、
難関コースに入ったチームに何かあったときは、超ベテランはサポートに行ってしまい、新人はそこそこの経験者におろしてもらう、と言う体制をとっていた。
そんな体制を使う事なんて無いんだと思っていたのだが・・・
 
 
 
この八ヶ岳のミニ合宿、ぷーままのチーム4人は、体験入会の若い女の子を連れて(男性陣頑張る!)、超ベテランの男子をリーダーにして、将来有望な入会まだわずかの若手男子1名、女の子一人では何なので、そういうわけで加えられたぷーまま(怒らない私は偉い!)の4人グループだった。
 
確か、渋の湯から登って、一日目は雪の中を歩くのを慣らしながら高見石小屋までだった。
新人の彼女にとって、すべて新品の道具(登山靴、登山ウェア、ピッケル等)を身に着けて、荷物を背負って雪の中を歩くのは初めての経験で、
なかなか足が前に出ない。
ザックの中など、本人の着替えしか入っていないのだが・・・
それを、超ベテランが先頭に立ち彼女のペースを見ながらゆっくり歩き、2番手は彼女、3番手にぷーままが彼女を観察しながら歩き、最後尾を2番手が張るという行進を続けたのだった。
 

 
この時期の北八ヶ岳は幻想的で本当に素敵。
ゆっくり一日目を歩いて、高見石小屋の横にテントを張った。
 
夜、「 あのね、トイレはすっごい遠くに行かなくていいからね。
稜線踏み外したら落ちちゃって、僕ら聞こえないからね。
何にも聞こえないから、小屋のすぐ裏で用足してね。 」
 
まさかついていくわけにもいかず、リーダーがトイレに行く彼女に必死に言っていた言葉。
彼女がテントから出て言ってかなりの時間がたっても戻ってこなかったときの彼の言葉を今でも思い出す。
『 あ~~、ザイル付けておきゃよかった。 』
 
 
 
まあ、彼女は無事戻り、2日目、硫黄岳に向かった。
 

 

 
 
 
 
幻想的な北八つの景色は硫黄の手前で消えて、そこからはアイゼンが必要な氷と岩の世界になっていた。
 
さあ、新人彼女、怖くて足が出ない。
後ろに続く私がピッケルを刺して足場を作ってあげるのだけれど、怖いからへっぴり腰になってしまって体が持ち上がらない。
ず~~~~っと停滞する彼女の足元を滑落しないようにかばい続けた私の口の周りはその後、凍傷で真っ黒になった。
 
横岳を通って赤岳に行けたらいいね、と話していたのだが(そのためにザイルも2本持ってきていた)、全く無理なのに全員すぐ気付いた。
硫黄からそのまままっすぐ赤岳鉱泉に下りることに決めた。
 
その道で雪崩に遭遇した。
前から来た人とすれ違った直後、踏み痕が消えて全員雪にぶすっともぐりこんだ。
周り中やわやわでどこにも当たらない。
どんどんもぐっていく。
樹林帯の中をゆっくり流れる雪崩だったんだと思う。
雪の面にクロールするようにして6m位進んだらまた踏み痕があって普通に歩けた。
樹林帯は雪崩れないと思っていたので本当に驚いた。
 

 

 
 
 
 
赤岳鉱泉について、『 〇=〇〇!!』、山岳会のコールを大声で叫んだのだが何の返事もない。
おかしい。
14日には岩稜を登るチームも、氷瀑を登るチームも、赤岳鉱泉のテントサイトでみんな集まるはずだったのに・・・。
 
いくら呼んでも返事がないのでテントを一つ一つ見に行った。
すると・・・テントは何張りも張ってあるのだが居るはずの人がいないのを発見した。
 
どうしたの??
何があったの??
一晩私たちは眠れない夜を過ごした。
 
翌日、元気なみんなに会えたからよかったけどね。
 
 
 
実は、岩稜登って赤岳についたグループの内、男女2人が東側に落ちてしまったのだった。
雪崩れたのだと言っていた。
残った人たちは、上から探したもののわからず、いったん赤岳鉱泉まで下りたのが、私たちが高見石にとまっていた夜の話だった。
翌日、またみんな赤岳に登った。
確か長く探して戻れず、みんな石室にとまったのだった。
 
落ちた2人はと言えば、女性の方は、「 私の方が年上なのに、年下の彼を死なすわけにはいかないわ。 」と、雪崩が締まってしまった中から必死で這い出したのだそうだ。
男性の方も、 「 僕は男なんだから、女性の〇〇さんを雪に埋もれて死なすわけにはいかない。 」と、頑張って雪から這い出たのだそうだ。
後でその2人が言っていた。
「 一人だったら死んでいたかもしれない。 」 と。
 
2人で雪の中で頑張って夜を過ごし、翌日稜線まで登って、赤岳石室に保護された。
 
日曜日に不安と心配でいっぱいの私たちの前に全員元気に下ってきた。
 
私たちは、携帯電話も無い時代、テントはあるのに人が全員居ないという怖い思いをしたのだった。
 
 
 
 
 
私が顔中凍傷になって真っ黒な顔になってしまった原因の彼女は、私たちが仲間がいないことに右往左往するのを見たからか、その後退会してしまった。
 
 
 
 
 

2014年10月19日

動物にはかなわないね

信濃毎日新聞 斜面 10月19日
 

 
 
 
 
 
人間はわからないのだね。
動物から読み取る研究をしてほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年9月29日

写真を比べていたら

去年の夏に山梨の家に泊まりに来ていただいたN先生が、32年前に初めて南アルプスに登ったときの写真を見せていただいた。
初めての南アルプスに甲斐駒ケ岳黒戸尾根とは!!
黒戸尾根の長さと高度差は日本有数なのだ。
 
 
N先生の記憶では、一枚目は電車を降りた日野春の駅ではないか、二枚目は横手駒ケ岳神社に登った道ではないか。とのこと。
 
甲斐駒ケ岳には横手口と竹宇口の二つの登山口があるが、たぶん横手口だろうという程度の記憶なのだそうだ。
 
 

 

 
 
 
一枚目はわからないけれど、二枚目はすぐに場所が分かった。
山梨の家に入るところにある巨麻神社のすぐ上の砂防堰堤のところ。
 
さて、一枚目は日の春駅だろうか。
 
自分の持っている日野春駅で撮った写真から、同じ甲斐駒に向いた写真を探した。
そうだ!山の形を比べたら、撮影場所がわかるんじゃない??
2枚目も近い場所で撮った写真がたくさんあるはず。
 
 
似た形の山を探したら、あった、あった!! 
写真の中の山の部分だけ切りとって同じ大きさにして重ねてみた。
一枚目。

 
二枚目。

 
ほら、同じ山の形、重なり方でしょ??
 
 
 
 
二枚目は実は50mくらい右前から撮った写真なのだけれど。
 
 
 

黄色い矢印が32年前の写真の撮影場所と方向。ピンクのは4年前の撮影(下の写真)。
オレンジ色はバス停。

 
 
この写真を見ていたら、なんと、同じ建物が日野春駅前に写っていた。
 

アルプス食堂は無くなってしまったけれど、右の建物は同じ。
 
 
日野春で夜行電車を降りて、横手口から登ったこと確定です!
 
 
 
 
 
 

2013年9月6日

草すべり(北岳)って

芦安山岳館に北岳の模型(ジオラマ?)があった。

それを見て初めて知った。

草すべり(黄矢印)を登ると、大樺沢も見えないし、
小太郎尾根の先の方に出るからバットレス(黄〇)と違う向きにあるとばっかり思っていたけれど・・・

これを見ると、同じ斜面(と言っていいのか)にあるんだね。

   

草すべりコース(オレンジ破線)は、草すべりがちょっと急坂だけれど他はなだらか、というようにガイドには書いてあったと記憶しているけれど、
八本歯コース(黄緑破線)と、「尾根と谷」は全く違うけれど、
こうやって見ると左右に分かれて同じような登り道だったんだ、と今更ながら気づいた次第。

もう、この、黄緑コースは歩けないけれどね。

   

   

   

   

   

 

2013年8月7日

南アルプス 芦安山岳館

昔、昔、
ぷーままが山登りをしていた頃、夜叉神峠の小屋をやっていた塩沢さん(現芦安山岳館館長)に会いに行ってきた。

以前行ってから、もう何年たってしまっただろう。

「 あの頃、山小屋のおやじの間で僕は一番の若手だったけれど、
 今じゃあ語り部よ。 」

そりゃあそうだね。

夜叉神峠の小屋の後は北岳の登山口にある広河原小屋のおやじをしていた。
62歳の時に引退して、今は息子さんが広河原の小屋をやっているそうだ。

北岳って、富士山の次に高い日本2位の高山なのをご存じかしら。

バットレスという岩場もあり、縦走、岩登り、どちらも楽しめる。

                     

 

懐かしく話をしていたのだけれど、その間にも、問い合わせることがあって来る人、小屋の荷揚げの打ち合わせに来る小屋の人、大勢来てなかなか忙しそうだった。

 

 

私は、山岳館の所蔵本の中から、自分の載っている本探し。

夏山JOY 1975年版。

北岳稜線小屋アルバイト仲間との写真。

おや、甲斐駒の頂上には従兄弟が二人写ってる!

 

 

これは書いたことがあるけれど、この表紙にも、

この記事にも、

自分が写っているって、ちょっとうれしい。

 

 

また行きます。
どんどん語り部、してくださいね~。

    

    

    

    

    

 

2013年3月2日

古いなあ

塩大臣が5歳の時、子供たちと北岳に登ってきた。
15年前だ。

その時買ってきたんだったと思う、このカップ。

北岳の高さが3192.4mになっている。

 

頂上の横に、三角点より高い岩盤があるのがわかって、2004年11月、80cm高い3193.2mに訂正されたので、今はこの標高ではない。

今買っても、この数は書いてないよ。

 

 

 

 

 

 

2012年3月19日

雨⇒晴れ

17日、雨降りでした。
八ヶ岳南麓から見る南アルプス。 ふもとのほうだけ見えてます。
横一直線に雲の中。

翌日、朝から霧です。

時々小雨。


甲斐駒の頂上は雲の中。

3日目。
快晴。

八ヶ岳くっきり。

南アルプスもすっきり。

北岳と地蔵岳。


白州中学の北では、遺跡の発掘をしていて、向こうには瑞垣山か金峰山(金峰山が南東・・右奥・・・にあるのだけれど、一つだね。金峰山は瑞垣の陰かもしれない)。

4日目、帰る道すがら。
ふりかえると・・・

甲斐駒ケ岳(右)から南(左)に早川尾根、鳳凰三山地蔵岳、



地蔵


早川尾根の頭


地蔵の左に観音岳

中央道で白根三山が見えたけれど、停まらなかったので写真は無し。

サイドミラーにずっと写ってた・・・

2011年12月7日

見る場所による富士山

早朝のやっと明るくなった空に浮かぶ富士山はきれいだった。

その純白さは輝くばかり。


 

なかなかいいポイントで車が停まらず、必死に写真を撮りながら、ふと昔のことを思い出した。

 

 

 

ぷーままが良く登っていた山は南アルプス。

どの山に登っても、頂上に付くと、東の方向に必ず鎮座している、あの整った山容。

 


                        (北岳稜線小屋より)

 


                        (北岳稜線小屋より)

 


                           (塩見岳より)

 


                           (塩見岳より)

 

 

当たり前の話だけれど、どの山にも邪魔されずに見えるのが、2位の山を500m以上引き離して高い富士山だった。

 

最初のうちは、「 わぁー、富士山が見えた。 きれいねぇ。 」 といっていた私たちも、
どこにいっても同じような整った形に見える富士山が、だんだん鼻についてきた。
形といい、雪の積もり方といい、整いすぎているせいだと思う。
 
あちこちの山から見えたのに写真がないところからも、その富士山にどんな思いを抱いていたのか分かろうというものだ。

 

これが、街中からだと、丹沢に行く途中の車中から、また、朝の犬散歩の途中の湘南海岸から、御殿場線の車窓から、ものすごい時間を割いて膨大な写真を撮っている。

今回の夜明けの真っ白な富士山なんて、神々しくさえあった。

なぜかなぁ・・・・・。

 

 

 

富士山の整いすぎた山容って、自然、というより人工的な美に近いのかもしれない。
だから、自分が山の上から眺めたときは、ちょっと余計な景色になった。
でも、街から見るときは最高の自然の美に見えた。
そんなところかなぁ。

皆さんはどう思われます??