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おバカなプーたろう


2010年8月27日

古い写真から・・・北横岳  3

足元に広がる雪の斜面以外に目に入るのは、
モノトーンの氷をまとった木々と、雪面とのさかいめのわからない空ばかり。
しかも、そんなに遠くない樹木の向こう側が、白と灰色スプレーで消されている。

 


通称「えびのしっぽ」。吹き付ける風に霧が凍って枝に張り付くのだ。
風上に向かって、エビの尻尾型に氷が生える。
木々は、このしっぽで覆われてモノトーンに変わる。

エビの尻尾ができているということは、気温が低く、風が強かったということだ。

 

この時点で、内心かなりあせっていた。
こんな斜面で、しかも、さらさら流れる雪の中ではツエルトだってうまく張れないじゃないの。

 

完璧にルートを外れている確信はあった。

 

 

 

 

ただ、後でわかったことだが、この斜面は、あせっていても登れたのだ。

 

 

登山ルートの両側には、とんでもない急斜面や岸壁や、ましてや滝など一つもなかった。

 

 

 

枝を掴み、岩(?)を掴み、足以上に腕を使って40分くらい登っただろうか。

とつぜんここにポンと出た。

 

 

 

道標が見えたときのうれしかったこと。

驚いたことに、目指していた尾根道の到着点にピッタリ出たのだった。

もう、あとは楽チン楽チンの尾根道。

 

北八ヶ岳らしい雪の小道が続いた。

 

 

そして、約10分。

 

あったー。

 

 

 

北横ヒュッテに辿り着いた。

 

 

実は、この写真は、今回ピラタスロープウェイに乗る前に撮った2枚の写真の次の3枚目の写真。
途中、写真を撮る余裕など全くなかった。
ここに掲載した風景の写真は翌日、帰る時に思い出して撮ったものだ。

良くぞ生きて辿り着いたものだ、と、帰宅してから猛反省した。

帰りに良く見たら、この尾根、積雪期はどこから登ってもたぶん問題なく尾根筋まで登れるような、そんな斜面の尾根だった。
このあと、はなママちゃんたちとも登ったが、みんな勝手に好きなルートで登ってちゃんと登れた。
下山も各自勝手に降りた。
無謀な山登りだったが、北横岳がそういう山で助かった。

 

 

 

 

「 お~~い! 」

 

 

「 あ、来た来たー。 おつかれー。 」

 

 


当時の北横ヒュッテは冬季開放のいい小屋だった。
気に入って、次の年のお正月は北横ヒュッテで迎えたのだった。

 

 

おしまい。

(あ、ぷーまま、そんなに危険なことばかりしたわけじゃないからねー。)

 

 

 

 

 

 

 

古い写真から・・・北横岳  2

体は腰より少し上まで雪に沈んでいる。
抜け出ようにも足が地に着かない。
周りはふかふか。

考えてみたら、背負ったリュックが雪面に乗っかっていたから止まったので、
荷物がなかったら頭までもぐったかもしれない。

雪崩のときもそうだというけれど、どうにか体を横にして、まさに泳ぐようにしてその雪の落とし穴をやっと脱出した。

 

それでも、まだ、危険だという気持ちは持っていなかった。
危険を認識するだけの知識を持っていなかったということなのかもしれない。

 

「一人だと、何をするのも大変だなあ。」と思いながら、見え隠れする赤や緑の目印を追って北横岳への尾根に続く斜面の基部に辿り着いた。

 

 

斜面は森になっていて、登り口を捜す斜面の基部は雪も深い。

深雪のなかをうろうろしたが、おそらくつづれ折に登るであろう登り口がわからない。

最初から、好天ではなかった空がだんだん低くなり、あたりは霧に包まれだした。
行きつ戻りつしても登り口がわからない。
目印のテープも一つも見えない。

初めて、これはいけない、とあせり始めた。

 

 

 

こんなになってからあせるのだから初心者というのはすごい。
いざというときは、戻ればいいや、と思っていた。
それまで、まだ、自分のトレースをたどればすぐに戻れると思っていたのだった。

その自信が崩れだしたのは、霧が濃くなってきたからだった。

振り返っても、自分がつけたはずのトレースがうすくなっている・・・

 

 
もうよそうか、と思ったそのとき、前方からスキー板をつけた数人のグループが向かってきた。
やったー!これで道がわかる。
彼らのふみ後をいけばいいんだ。
樹林帯の中ならトレースははっきりついているはずだ。

「こんにちわー。北横岳からですか??」
「こんにちわー。そうですよ。」
「雪、すごいですか??」
「そうでもないですよ。」
不安はいっぺんに吹き飛んだ。
彼らのトレースをたどると、登り口にすぐ辿り着いた。
上を見ると、赤いリボンがぶら下がっているのが見える。
「よし、あと1時間だ。」

 

 

体力はあったぷーまま、勢い込んで登り始めたのだった。

ところが・・・

 

 

 

 

 


ときどき、ホワイトアウトしてしまいそうな濃い霧が流れる。

 

すれ違ったグループは山スキーを履いていたので、トレースがあさく、彼らの痕はすぐに斜面を滑り落ちる雪に埋もれてしまった。
さあ、もうルートはわからない。

 

 

これではないかと思うルートを闇雲に登った。

 

 

振り返ると自分の歩いてきた痕だけが道になって見える。

また、つづく。 (えへへ) →古い写真から・・・北横岳  3 はこちらから。 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年8月26日

古い写真から・・・北横岳  1

 

 

こんなに暑いと、こんな写真が見たくなる。

古ーい、冬山の写真。

 

 

 

 

八ヶ岳の一番北。
白樺湖を通り過ぎると、ピラタスロープウェイというのがある。
標高1771mの山麓駅から、2237mの山頂駅まで標高差466m・総延長2215mをたったの7分でつないでいる。
山頂駅は「坪庭」の入り口。

 

坪庭は溶岩がゴロゴロした亜高山帯の道で、冬はルートが雪の下に隠れているから気をつけなくてはいけない。

 

なぜ私だけ後から行ったのかもう覚えていない。
先に行っている3人を追いかけて朝新宿を出た。
もしかすると3人は八ヶ岳を縦走して最後に北横岳に着いたのかもしれない。
地図と山の本を見ると、山頂駅から待ち合わせの北横岳ヒュッテまではコースタイム1時間。
ゆっくり歩いても2時間あればつくだろう、と考えていた。
だからだろう。坪庭を歩き始めたのは昼過ぎだった。
山では夏でも午後2時には山小屋に着け、というのに、確か出発したのが1時ごろだったと思う。冬だというのに。

 

当然、冬山なのだから、装備はちゃんとしている。
ザックにはシュラフも食料もツウェルト(簡易テント)も調理用品も持っている。
もし、急に悪天になったり、迷ったりしてもそこでツウェルトを張って待てるだけのもの。

 

装備は持っていたにしても、山を舐めていたとしか言い様がない。
いくらコースタイムが短く、山小屋に仲間がいるはず、とはいえ、冬山の単独行。
初めてのコース。
出発が午後。

とにかく、無謀なことに、午後、私は一人で、初めてのピラタス利用北横岳に行ったのだった。

そのとき、ロープウェイを降りた登山者は私一人。ほかはスキーヤーばかり。
ロープウェイの下はスキーのいい山岳コースだった。(下のほうはゲレンデ)
スキーヤーと一緒にのるロープウェイは居心地が悪かった。
一般観光客と一緒のバスなんかも余り居心地がよくない。
登山者は汚かったり臭かったりするやつが多かったからなぁ。
なんだかスキーヤーのほうがものすごく洗練されて見えるんだよね。
ぷーままは、山から帰るとテントまで水洗いして干していたくらい、臭いのが嫌いだったから
余計気になったのかもしれないけれど。

 

 

 

山頂駅を出るとそこは冬山の真っ只中。
家で調べてきた地図を思い浮かべて歩き始めた。

今考えると、実は内心緊張していたのだと思う。
ロープウェイに乗ってからの写真がないのだ。

 

しばらく平地を歩いて少し登り、また平らなところを進む。
いわゆる坪庭といわれるところには柵やロープが設けてあったりして迷いそうもなかった。
しばらく歩くと、左に赤いリボンが点々と結んであるのが目に入った。
冬山のために秋のうちにルートに赤いリボンを枝に結びつけたものだ。

ふみ跡もあったのでそこから坪庭のルートをはずれ、山(樹林帯)に向かって歩き始めた。
ほんの10mくらい歩いたところで、ずぶっと雪にもぐった。
もぐったつま先がまだ宙に浮いている。
本で読んだ、雪に隠れている溶岩のすき間にはまったのだ。

 

 

続く。(またまたぁ・・・) →古い写真から・・・北横岳  2 はこちらからへ。
 

 

 

 

 

 

 

 

2010年8月7日

途中から読む方に・・・

「古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ」をここから読み始めた方へ。

ぜひ一番下の1からお読み下さい。→こちら

上から読むと面白さが半減します。

 

 

 

 

 

 

2010年8月6日

古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ 5

やれやれ、二日分の話が済んだ。

( あ、これから「恐怖のショウジョウバカマ」を読まれる方へ。 1から読んでください。こっちからではつまらないよ。)
1はこちらから
 

 

 

遭難騒ぎで飲まず食わずの3人も帰ってきて、この日のことを聞きながら晩御飯を食べました。
なにを食べたんでしょうねえ。
ラーメンとかうどんとか、そういったものだったのでしょう。
普段から山登り中は粗食に耐えている仲間でしたから、食べられれば良かったんだと思います。

 

 

翌朝。
ぷーままの誕生日です。
大学2年から、誕生日にはキタダケソウを見に行くことにしていました。
親父さんたちが来ないと帰れません。

学生と自由業とそんな集まりだったんだと思います。
「来ないから帰れない」・・そんな理由で小屋にとどまっていました。

朝ごはんを食べ終わった頃、バタバタバタバタ・・・・  ヘリの音がし始めました。

来た!!

荷物をぶら下げたヘリが上ってきます。
なれているやつが、荷物をはずしました。

ヘリからは親父さんが降りてきました。

「 ほぉ。。待っていてくれたかー?? 」

プロパンガス、缶の飲み物、米、玉ねぎなどの野菜、缶詰、酒、タバコ、マットレス・・・
次々到着します。

 

ヘリのローターの廻った下での作業はけっこう大変でした。

 

しかし、ヘリは偉大です。

私達バイト仲間で一番速かった子は朝7時頃に小屋を出て広河原まで行き、広河原でご飯を食べさせてもらってから、たくさんの荷物を受け取って両手にすいかをぶら下げてお昼ちょっとには戻ってきました。
偶然そのときに登山していた人たちは、ものすごい荷物を担いだ彼に風のように追い抜かれて歩く気をなくしたといっていました。
もう一人、速かった子は、稜線小屋から農鳥岳まで1時間を切る速さでした。

でも、私達はそんなに早くは登れません。一番体力が乗っていたころでも私は5時間くらいかかっていたように思います。
13年前に3人の子ども達をつれて登ったときなど、9時間くらいかかったと記憶しています。

そこをヘリはあの荷物をぶら下げて広河原から10分かからずに飛んでくるのです。
イヤになってしまいます。

 

 

 

5人も手伝いがいたのですから片付けは速かったと思いますよ。

開放していない小屋の中の荷物も広げて、いよいよ夏山シーズンの始まりです。

 

とたんに辺りがアットホームな雰囲気に見えてきた、そんな誕生日の午後でした。

 


(なにが写っちゃったんだろう、恥ずかしい・・) もう7月になろうというのに小屋の裏には雪。
涼しいを通り越して、朝晩は寒いです。

 


ボーコンの頭の方向です。
向こうに見えるのは秩父の山々です。

 

 


富士山に笠がかかっています。さすがに梅雨の真っ只中です。

 

 

 


この写真は前にも載せたことがあります。この日の夜の写真です。
もうずいぶん前に亡くなられてしまった森本さんと清水さんの二人の親父さん。

お酒を飲みながら、昨日の遭難救助の話をしたりしました。

「危ないときに山に登るな」、と親父さんたちにいわれました。
遭難事故が起きるような天候のときはオレ達だって危険だから、悪いけど遭難者(死者)は粗朶(そだ・・・細い木の枝を集めた物)できっちり巻いて谷から落とすんだ。でも、知り合いだとそうは出来ないから危険を押して担いで下りることになる。
こっちも危なくてしょうがないから危険なときは山に入るな、という話でした。

 

 

この小屋には3人の親父さんがいたのですが、山梨にもう一人父親がいるような、いい親父さんたちでした。

 

 

翌朝、親父さんたちに「じゃあ、また来月ね。」と別れを告げて山を下りました。


これは帰る私達を親父さんたちの中のボス格の今朝光(けさみつ)さんが撮ってくれたようですね。
珍しくカメラマンのYさんが写っています。
いつも写す側にいる人って、カメラを向けられると照れちゃうのですが、Yさんも照れまくっていてかわいい。

 

 

 


4日目にしてやっと山頂を踏みました。

梅雨のさなかにしてはまあまあのいいお天気でした。


中白根から間の岳。下の雪渓の手前から3つ目のところに稜線小屋があります。


北岳山頂から見る千丈岳は、大きすぎて近すぎて35mmのレンズでは全容を捉えることが出来ませんでした。

 

でも、

間ノ岳から脳鳥岳にかけての稜線や尾根筋が雲の間から見え隠れして、それはきれいでした。

 

 

 

お花畑には、白い花、黄色い花、紫の花、薄紅の花たくさんの花が風に揺れていました。

 

 

イワヒバリが鳴き、

 

 

まだ、白い冬羽が残るライチョウが死んだみたいな様子で日向ぼっこをしていました。

 

 

 

 

八本歯のコル、ここを左に下りると、下界への道が始まります。

 

 

上部二股。遭難者達は、向こうの雪渓を登っていったのでしょう。

 

 

あの辺りにしか咲かないというミヤマハナシノブ。

その珍しい白花株。

 

 

 

周りに咲く花がだんだん低山にもある植物に変わっていくのを眺めながら、
でも、こんな生活が永遠に続くと思っていた若き日のぷーままでした。

 

 

 

 

 

 

 

古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ 4

Yさんの緊張した顔がだんだん近づき、声の届く範囲になりました。

「どうしたのー??」

 

「遭難だよ。」

 

心臓ひっくり返りそうでした。

 

 

え??
だれが???

どうしたの??
どうなったのよ????

Yさんでないことだけは確かだわ。
だれ???
え???

 

 

 

とても長い時間に感じました。
ずっと見えていたYさんとやっと合流。

「だれが、どうしたの。」
「いやね。僕達じゃないんだけど。」

 

 

もう!
へたり込みそうでしたよ。

小屋へ戻りながらの道々聞いた話は・・・

 

バットレス基部への巻き道をトラバースしていたときに、ちょっと下のほうにショウジョウバカマがきれいに咲いていたのだそうです。
「ほら、あそこにきれいなショウジョウバカマが・・」
3人がそちらを向いたときに、どこからともなく石が墜ちたのだそうです。

山で石が落ちるのを見たときは、「ラーク」と大きな声で叫びます。
落石の「らく」です。
下の人に注意を促すのが目的です。

彼らも大きな声で「ラーク」と叫びました。

すると・・・
なんと石の落ちて行った先の方から、小さく「ぉーぃ」と呼ぶ声が聞こえたのです。
「ぉーぃ」「助けてくれー」声は続きました。

 

助けてくれという声を聞いて、先に行くわけにはいきません。

気をつけて谷を下りました。
すると・・・

 

男性が二人、一人は元気なのですが、一人は全く動けません。

話を聞くと、

 

二人は私達と同じ八本歯のコルを目指していたのですが、この年の残雪の多さに雪渓のどの筋を登るのかを誤り、バットレスに向かう雪渓を登ってしまったのです。
バットレス沢は最後は氷壁に近いです。
二人もさすがにこれはおかしいと気付きました。

戻ることにしたのですが、スキー場を思い浮かべてください。
登るときは斜面の高低差は自分の身長を引いた分になりますが、下るときは身長を足したぶん高低差が増して感じるのです。
感じるだけでなく、靴で歩いていて恐怖を感じる斜面というのはかなりの傾斜を持っています。
二人は、恐怖からお互いにつなぎあおうとしました。
ところが、一般の縦走を目指す登山者ですからザイル(ロープ)などは持っていません。
目に付いたザックの口のひもを解き、お互いにつなぎあったようです。

下っていくうちに一人が転びました。
もう一人も引っ張られて転び、ひもでつながっているので二人は雪の斜面を滑り落ち、雪面から出ていた大きな岩に引っ張られたほうがぶつかり、最初に転んだ一人はその人にぶつかって止まりました。
先に岩にぶつかったほうが動けなくなりました。
そこで一晩過ごしたのだそうです。

 

夜が明けて、上からの「ラーク」の声に助けを求めたのでした。

 

Yさんは小屋に戻り、手当てに使えそうな物を物色して現場に戻りました。
とても痛がっているというので、薬箱から鎮痛剤を見つけました。
処方箋がなかったのですがそれを持っていきました。

途中で下山する登山者に、広河原から警察に連絡してもらうよう頼みました。
当時、山を降りたところにしか電話はありませんでした。
鎮痛剤を適当に(!)飲ませてから遭難者をシュラフに入れてザイルで固定し、3人で雪渓を滑らせて下りました。
「痛い、痛い」といっていた遭難者がそのうち、「痛くなくなった」と言ったというのですから鎮痛剤を飲ませすぎたのだと思います。

 

やっと雪渓を半分下ろしたあたりで、県警のヘリコプターが来てくれて、遭難者を吊り上げていきました。
3人はまた雪渓を登って、そのまま帰ってきました。

 

だって、ヘルメットが一つ無いだけではなく(これは代替品があったけれど)、遭難者といっしょにザイルを持っていかれてしまったのですもの。

3人はバットレスをやれませんでした。

ヘルメット無しで登るな、ということだったのでしょう。

 

 

遭難者は脊髄骨折で長く入院しましたが治ったそうです。
ザイルは新しい物を送ってくれました。

 

しばらくKRA(北岳稜線小屋アルバイト組合)では、ショウジョウバカマをみるとこの話になり、このときのことを「恐怖のショウジョウバカマ」と呼ぶ様になったのでした。

 

 

あらやだ、話に夢中になって写真を忘れたわ。


これが頂上下のお花畑です。


キタダケソウ。この花を見に来たのでした。

 

 

 

さて、こうして、嵐のような一日が過ぎ、でも親父さんたちはまだ登ってこないのでした。

つづく。

(ドキドキしないね。)  →「恐怖のショウジョウバカマ 5」はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ 3

『ギャーーーーッ!!』

 

 

いやー、震え上がったのなんの。
外が見えないだけに、囲われた中にいると怖いです。

4人でだきあっていると、とつぜん窓が「ガラッ」と開いて・・・・

 

「 おどろいたー?? ふふふー。 」

「 トイレ行ってくるねー。」

Fu~~n・・・
外から鼻歌が聞こえて、トイレの方向に遠ざかって行きました。

 

 

やられたー!

 

 

さて、翌朝、荷揚げのヘリが飛んでくる気配すらありません。

私達は当初の目的のバットレス登攀と、お花見に出かけることにしました。

 

ところが、なんと、Yさんが登攀用のヘルメットを忘れてきてしまったのです。
さて、どうする。
どうしたと思います??

Yさん、数ある小屋のなべの中からちょうどいいサイズの両手鍋を探して、中にタオルをたくさんつめて、鍋の両手に手ぬぐいを通してアゴの下で結ぶ、という荒業を選択しました。
写真が無いのが本当に残念です。
(当時、写真の現像代が高くて、写すのは極力撮りたい物だけに絞っていたのです。デジカメだったら絶対撮っているんですけどね。)

 


この写真は、鍋を抱えたYさんがほかの2人を撮ったものです(笑)。

 

ヘルメットをかぶった二人と鍋を片手に提げた一人が岩登りに出発したのを見送ってから、私とO君も花見に行くことにしました。

O君は当時、「日大広しといえど、俺の背筋にかなうヤツはいない」という背筋力の持ち主でした。(いくつだったか忘れました。私もけっこう強くて120kgとかありました。)

使い道の無い背筋力を抱えた二人はのんびり花見に出かけました。北岳にしかないキタダケソウの開花がちょうどこの時期なのです。山頂周りにしか咲いていません。
北岳稜線小屋からだとちょうど釣り尾根にぶつかる辺りにお花畑がありました。

 

 

 

私達が、カメラを抱えてノンビリ歩いていると、前方からYさんがこちらに急いでいるのが見えました。
え??どうしたの??
荷物も持っていません。鍋も・・・。

え??

なにがあったの????

もうバットレスを登り始めてしばらくたったくらいの時間です。
そんなところから戻ってくるなんて事はありえません。

なにがおきたの??
戻ってこなくてはならないような、何が起きたの????

Yさんの顔が緊張でこわばっているのが遠くからもわかります。

ドキドキしました。

つづく。

(ドキドキするでしょ?・・・笑)

→「恐怖のショウジョウバカマ 4」 はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ 2

さて、夕闇迫る中、私達が困っていたかというと、そうでもありませんでした。

だって、何も無い山中と言うならともかくも、通いなれた小屋まで来ているのですから。
そして、冬季開放の小屋もあるのです。

この写真のうしろに写っている昔の石積み小屋に続くプレハブが開放小屋。
(冬山登山者のために、小屋が一ヶ所解放してある。冬山登山者はその小屋の中でツウェルトなどを張って寒さや悪天から身を守って寝る。)

特に心強かったのは、5人のうち2人までもが小屋を閉めるのを手伝ったことがあったのです。
1人は去年の小屋じまいをいっしょにしていました。
開けるための道具がどこにあるかを知っています。

とにもかくにも、真ん中の小さな小屋を開けないと食料も寝具も明かりもありません。

しかしそこは手馴れた物で、一時間ほどで従業員室だった多目的の小屋を開けることが出来ました。
知らない人が見たら、この時間ですから盗賊団に見えたかもしれません。
(本当に、そっと逃げていった人がいたらおかしいですね。)

 
時間が時間だったので、とりあえず必要な物を出しました。
毛布、やかん、鍋、ストーブ(ガスコンロが使えないのでストーブの中にガスバーナー)、ランタン、食料。
さて、何を食べたのだったか、さすがに覚えていません。

なにをしても楽しい、そういう年頃でした。

写真の私達の後ろに写っているドラム缶は夏の間天水・・・雨水をそう呼んでいました・・・を貯めるのに使っていたものです。大事な生命線が天水でした。晴れが続くと、私達は350m下の沢まで20ℓのポリタンクを背負って(2つ担ぐツワモノも)日に何回も水汲みに行ったものでした。
ドラム缶は冬季はねずみに食われたら困るもの・・・食料や毛布・・・の入れ物になっていました。

 

落ち着いたら始まったのが、山で経験した怖い話。
特にこの小屋の経験が長いYさんの話はものすごく怖かったです。
夜中に何回も「ざっ、ざっ、ざっ」と重い登山靴が石を踏んで歩いてくる音がして戸の前で止まるのだそうです。「誰ですかー、こんな時間に」ととびらを開けると誰もいない。「あれ??変だな。」戸を閉めてしばらくすると、また、「ざっ、ざっ、ざっ」・・・   ひゃー、こわいこわい。

山では人の息吹のあるところのほうが怖いです。
ただの森の中とか、沢筋とかなら怖くない。
小屋の近くは怖いです。
辿り着けなかった人の霊がさまよっているような気が、この無神論者のぷーままでさえそんな気がしてくるのです。

さあ、そんな話をしていたら、トイレに行けなくなりました。
山のトイレは当時、小屋の少し下のハイマツ帯に高床のように張り出して作られていました。今考えればとても環境に優しくなかったのですが、当時はほかにしようが無かったのでしょう。
私は平気でしたが、ビールを飲んだ男共が困りだしました。

 
「窓からすればいいさ。」などと嘯き、まあ、小屋を出てすぐのところで済ましてきていたのでしょう。
そのうちYさんが「大」を催してきました。「ねえ、いっしょに行ってよ。」

「やだよー。一人で行ってよ。」
冷たいみんなをあきらめて、意を決してYさんはヘッドランプをつけて外へ出ました。足音が小屋を廻ります。
そのときです。
『ギャーーーっ!!』
ものすごい叫び声が外から聞こえました。

続く。
(ドッキドキ・・・大笑。
あはは。見せ場がたくさんあるねえ。)

恐怖のショウジョウバカマ 3はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い写真から・・・北岳花見山行・・恐怖のショウジョウバカマ 

あんまり暑いから、ちょっと涼しい写真を掘り起こしました。

古いですよー。
75年6月27日~30日ですから。あはは、計算したら35年前だわ。

KRA (北岳稜線小屋アルバイト組合) の仲間と、北岳に登りました。
総勢5人。
3人は北岳バットレス(岸壁)登山。岩登りをしない2人はお花見。

通いなれた道ですから、のんびりと、東京を朝出発しました。

白黒写真はリーダー格のYさん撮影です。カメラマンの卵でした。ぷーままのお隣はYさんのお友達。

甲府の駅前が今とぜんぜん違いますね。

急ぐわけではないので、タクシーにも乗らず、バスを利用します。

昼ごろ広河原に着きました。
つり橋を渡ります。

今はもうない古い広河原小屋でお昼を食べて、

(素泊まり900円、寝具(毛布)つき素泊まり1200円、2食付2000円・・・と書いてありますね。安かったなあ。)

通いなれた大樺沢を登ります。

ちょっとおやつを食べて、その後は休みなし。

星明りだけでも登れるくらい何回も歩いた道です。

この年の冬は、とても雪が多くて、このときの雪渓はいつになく大きな物でした。

いつもどおりの八本歯のコルにまっすぐ登るコースは雪が詰まっていたので、一本右の沢筋から八本歯にかかる尾根に入りました。現在の登山コースになっている尾根です。

小屋に着けば、親父さんたちにお土産を渡して、ビール飲みながら晩御飯だ・・・
そう思って歩いていた私達でした。
ザックに入っていたのは、登攀用具や着替え、当然普通の縦走に必要な物は持っていましたが、テントや火器、食器は持っていません。
親父さんの好きな、焼き立てを買ってきた大きなイギリスパンとフランスパン、崎陽軒のシュウマイ、などなど、土産でザックはいっぱい。

さて、稜線小屋が見えるところまで来て、
「あれ??人気が無くない??」
「明かりもついてないよ。」
・・・・・・・・・

そうだったのです。
例年より荷揚げが遅れて、親父さんたちはまだ上がってきていなかったのです。
シュラフすら持っていない私達。
夕闇迫る山稜。

もうすぐ7月とはいえ、三千メートルの稜線。(正確には2800m)
夜は平気で氷点下になることも・・・

続く。

(ドキドキ・・・笑)     →恐怖のショウジョウバカマ 2