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おバカなプーたろう


2010年11月9日

自分の年齢を実感する写真


  
学校の図書室の準備室に藤沢市の古い写真集があった。
  
めくって見たところがとても面白い。
他の写真も漸次アップするけれど、まずはこの一枚。
  
なんだか、自分がとても年寄りに思えた。
  
  
  
  
東京オリンピックのときの聖火リレーが江の島大橋を通る写真。
  
( 今、この江の島大橋のリンクを張るので調べたら、なんとあの橋をはさんだ全長たったの786メートルの道路を 『神奈川県道305号江の島線』 というのだね。 これにもびっくり。 )
  
  
 
  
  
  
東京オリンピックの時って、こんなに古臭かったのかしらねー。
(あのときのことがちゃんと記憶の残る年齢だったからね、ぷーままは。)
確かに、あの時、全国的にカラーテレビが普及したのだし、新幹線も出来たのだし、
それまでとは飛躍的に近代化したのだろうけれど、
自分の記憶の中に、こんなに古臭い物は残っていないのだよね。
  
写真のマジックでもあるのだけれど、こういうのって自分が年寄りに思えない??
  
  
  
  
  
前にも書いたことがあるかもしれないけれど、
学校や塾で子供達に話していて、
  
「 先生が子供のとき、氷屋さんが冷蔵庫に入れる氷をリヤカー(通じないことも)にのせて自転車で運んできたんだよー。 家の前で大きなのこぎりで切って、新聞紙に包んでくれるの。
それを木の冷蔵庫の一番上の段に入れると中が冷えるようになっていたんだから。 」
  
うわっ、すっごい年寄り! っておもいながら話す。でも実は、自分の家の台所の氷の入る冷蔵庫の記憶は無い。親戚の家の冷蔵庫の記憶だ。
冷蔵庫の記憶は無いのに、家の前で氷を切る氷屋の記憶はある。
もしかしたら他所の家の風景が間違ってインプットされているのかもしれない。
 
 
幼稚園のとき、父がテレビに出た。(天皇陛下とカニの番組。当然NHK。教授と一緒にまだ助手だった・・・と思う・・・父が出ただけだけど。)
ところがうちにはまだテレビが無かった。
近所にテレビのある家があって、そこに行って見せてもらった。
これは間違いない。 あはは。
  
  
洗濯機には脱水槽などまだ無くて、それでも画期的な発明だっただろうローラーが付いていた。 
だから、洗濯機には必ずハンドルが付いていた(笑)。 
  
このリンクを見て思い出したけれど、お風呂は木でできていて、今、その形がノスタルジックだからと、最近は湯豆腐の鍋になっているらしい。
  
(これは、鎌倉極楽寺のガス屋の前においてあった物。これだよ。)
この、木の風呂はよく乾かさないと木が腐ってふかふかになるのだった。(経験者・・・ははは)
風呂の下でガスが燃えるので、換気が必要だった。
そんな原始的な風呂でも、当時は先進的だったはずで、父の実家(相模原の大農家)に行くと、風呂もトイレも外で、特に風呂は五右衛門風呂だったので、小学生だったぷーままは、うひょーーーーって驚いたのだったよ。 
五右衛門風呂は、東海道中膝栗毛に書いてあるように、下駄ではなくて浮いている蓋を踏んで入る。当時、弥次さん喜多サンと同じだと感激した物だった。
友達に話したら、ものすごく驚かれたから、うちのあたりは、その程度には近代的だったはず。
 
ところで、五右衛門風呂は木の蓋を踏んで入るだけでなく、風呂桶に寄りかかれない。
熱くてね。
これは入った者しかわからないよね。
  
  
  
  
  
 
東京オリンピックのとき、ぷーままは小学生。( 高校生の時には、今とあまり変わりない生活水準だったと思う。) もちろん、携帯とかパソコンは無かったけどね。
要は、ものすごいスピードで文化が進歩していた時代に育ったんだよね。
  
  
  
  
  
  
 
  
  
  
 
あ、そこの君。
一生懸命引き算しなくてよろしい!