Zum Inhalt springen


おバカなプーたろう


2011年1月6日

正月合宿

>>

もう31年も昔の正月の山の写真。(今回の写真は同行のMさんとNさんによるもの)
何年前かを計算するとため息が出るね。

このころぷーままは、銀座に拠点を置く労働者山岳会所属の山の会に入っていた。
精鋭たちは岩や沢を登り、冬の岩壁を登っていた。

 

ピンボケの写真だけど、出発点をちょっといったところ。
立山黒部アルペンルートの出発点(長野県側)の扇沢夏場はここからアルプスをくりぬいたトンネルを走るトロリーバスが出発する。
私達は、その、くりぬかれた北アルプスの山に登るのだ。

 

山の会では、一日早く精鋭が針の木雪渓を攻めて稜線をたどっている。
私達は初心者を含み、分散した精鋭をバックアップ出来るグループだ。
何かあったときは、二手に分かれ、ベテランがサポートに行ってしまう。
だからテントも二張り。

この日は黒部ダムを臨む稜線まで登ったんだと思う。(記憶が・・・)

 

雪がしまっていることを望んだ。ラッセルが続くと、稜線に何時につくかわからないことになる。


(長い赤いザックを背負っているスカイブルーのヤッケがぷーまま)
幸い、雪は深くても腰辺りまでで、予定通り稜線に近づいた。

稜線は風が吹きすさぶので、稜線を一段下がったところにテントを張る。
なだれないところを探すのにけっこう経験を必要とする。
特にここらへんの稜線は強風時に雪庇(せっぴ・・・雪のひさし)がでて、それこそ踏み抜いたら命がない。
どこまでが稜線でどこからが雪庇なのかを見抜かなくてはならない。

 

 

この写真は翌朝のテント撤収のときのものだが、こういう、風邪を防ぎなおかつ安全な場所にテントを張るのだ。

今のテントとは形式が違い、冬用のテントは中にもう一枚内張りというのを張って、寒さを少しでも防ぎ、なおかつ結露を防ぐ。
それでも夜中に寝ているみんなの息がテントで凍り付いてシュラフの上に降って来る。
朝起きるとみんな真っ白になっている。

 

 

左のブルーのテントはぷーままの私物。
カモシカスポーツの名品「エスパース」だよ。
汗臭い、煙臭いテントは大嫌い。なので、自分のテントを買った。毎回家に帰ると洗って干す。だから臭くないのだー。

 

 

 

テントの上の斜面に穴があいているけれど、ここは前日、テントを張っているときに突然崩れて人が現れたところ。
いやー驚いた。
突然目の前に人が現れるって、ほんとうに背筋がぞーっとした。
実は、数日前からここに雪洞を掘っていた人たちがいたのだね。
普通は、上から人に踏み抜かれないようにピッケルだのスキーだのを挿してそこに人がいることを知らせるんだけれど、彼らはやっていなかったのだ。
私達がテントを張る音に気付いて、あわてて外にでてきた、というわけ。
危機一髪だったね。

 

雪の中では音が吸い取られてしまって聞こえないことが多いのだから。

雪洞は、重いテントを持たないですむし、テントよりずっと暖かいので、慣れた人はとてもいいらしい

 

 

翌朝、テントを撤収して稜線に登る。
けっこうな斜面だ。

朝日の差す稜線を歩くのは気持ちいいけれど、何せ寒い。
足の指先や、手の先が冷たいを通り過ぎて、痛い。
登山靴の中で足の指の運動をする。


この手前の右側が雪庇になっている。
端を歩いたら踏み抜いて黒部湖に落ちていく。

 

 


この小屋で他の2パーティと合流する予定。

この夜、新人のO君のご飯の炊き方レクチャーが有って面白かった。
なかなかの方法で、私は今でも鍋でご飯を炊くときにその方法を使っている。

 

無事他のパーティと合流できて、翌日は爺が岳、鹿島槍が岳、と登頂する。

 

 

3パーティ合流したからすごい人数になった。

 

下山ルートは爺が岳の南尾根。

 

下り口はあっていたはずだ。
下るうちに降り出した霙(みぞれ)と、、雪の深さと、霧も手伝って、ルートを難しくした。
おそらく半分下ったくらいでコースを外れた。

やぶこぎ、がけくだり、シリセード、いろいろやりながらやっと下った。
途中雨になるほど気温が高くなった。
樹林帯を下ったのは正解だった。
苦労はしたけれど、雪崩の危険がない。

 

 

扇沢に着いたときはみんなびしょぬれだった。

 

 

 

 

 

(写っている中のお二人は、それぞれ数年後に山の単独行で亡くなられた。単独行は危ない。)