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おバカなプーたろう


塩爺に会いに行ってきた

昔々北岳に登り始めた時,塩爺は夜叉人峠の小屋のおやじだった.
北岳稜線小屋からの無線連絡(山の上から下界への連絡は無線しかなかった時代)の中継地になっていたのが夜叉人峠の小屋で,無線機から聞こえる塩爺の声にあこがれて,北岳の帰りに夜叉人峠を訪れる女性も多かったと聞いた.中継地がないと免許のいらない無線は甲府まで届かず,毎日の気象状況や遭難者のことなどを伝えるすべは他にない,そんな時代だった.急を要さない事は下山者に頼むしかなく,家への連絡とかは,手紙を投函してもらうか下りてから電話をしてもらうしかなかったのだった.
 
私がなぜ夜叉人峠によったかというと,無線で話しているうちに,尻皮をくれる,という話になったからだった.
尻皮というのは,30cm×40cm位の毛皮をお尻に下げてどこにでも座れるようにしたもので,それをくれると聞いて後輩の真理子と夜叉人峠に向かったのだった(尻皮はすべてカモシカの毛皮だと信じていた).
夜叉人峠につくと,女性が出てきて(誰だったか思い出せない)「お待ちしてました.塩〇さんは5日後に上がってくるそうです.」!!
なんと5日間の小屋番が前触れなしに待ち構えていたのだった.
 
おそらくその女性に小屋番の仕方を教わり,「腐らない」カレーを食べて待っていたのだと思う.そこら辺の記憶はあまり定かではない.
最初の晩,夜中に小屋の壁をガリガリひっかく物があってとても怖かった.後日,それは岩園館の大きな犬(クマといった)だと知ったが,初日は怖かった.
塩〇さんが上がってきて,尻皮をもらったのだが,なんだか見覚えのある模様で,「これ,なんの毛皮ですか?カモシカじゃないですよね?」「ああ,犬だよ.」
キャー!!
毛皮を放り投げた私だった.
犬が毛皮になるという事実が受け入れられなかったのだ.
しばらく見ていて,結局もらうことにして大事に使っていたのだが,この尻皮,数年後の正月山行でニッカーボッカーのお尻に穴が開いた長谷川君にとられてしまった.
 
子供を連れて再度北岳に向かったときは,塩爺はもう子持ちで,広河原小屋のおやじになっていた.
山に登るだけではなく,広河原で音楽会を開いたり,様々な活動を始めていた.
 
 
 
 
今の山岳館の仕事はその延長上にあるんだろう,今でも生き生きと働いている姿は昔と変わらない.
 

 
「ねえ,斉〇さん(私の旧姓),北岳のおやじさんたちに送ってもらったり,家に呼ばれたりして,将来就職したり結婚したりして全く音信不通になるような付き合いをするんじゃないよ.」
何回も言われたので肝に銘じている.
子供を連れておやじさんの家に遊びにも行った.言われたからやってるわけじゃあなく,あんなにいい一時期を過ごさせてもらったとこと音信不通なんてありえないから.
 
今回の塩爺の名言.
「 女房の妹が亡くなったりして,だんだん向こう側が近くなってきたのを実感してるのよ.
 もう次の仕事は決まってるから.
 三途の川の案内人よ.
 川の渡り方とか,石の積み方とかを教えるのね.
 斉〇さんが来るまでずっとやってるから,安心して長生きしていらっしゃいね.」

あはは,変わらないね.
まだまだ長生きしてもらわなくちゃ.
 
 
 

特設展をやっていたのは大学の先輩にあたる日本画家の犬塚勉さんの作品展で,今まで知らなかった画家さんだったのだが,まるで写真のような写実的な絵に魅せられた.(大学の数年先輩にあたるが,1988年に谷川岳で亡くなられている)
 
 
 
セルフタイマーで写真を撮ると緊張する.
誰かが撮ってくれると笑った写真になるんだけどね~.

 
  
 
 
 
 

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作成者:
ぷーまま
日付:
2015年8月7日 um 11:55 PM
Category:
2015 山梨,登山
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